仮説93:オリハルコンとラ・グリルの関係について

オリハルコンとラ・グリル――ムーの白鯨の根底に流れる基本理念、アトランティスとムーの力の源です。両者は別項で個別に考察していますが、ここでは両者の関係について考えてみたいと思います。

ムーに伝わる伝説によると(これはラ・ムーの言葉ですが、言及されていないだけで、アトランティスにも同様の伝説は伝わっているのでしょう)、宇宙を創造した神が地球に投げ入れた二つの光がオリハルコンとラ・グリルとされています。
これら二つは対になる存在で、物質を司るオリハルコンに対し、ラ・グリルは人の心を司っています。そのため、オリハルコンが形ある物質であるのに対し、ラ・グリルは無形の存在となっていますが、このことはアトランティスとムー、それぞれの社会基盤に決定的な相違をもたらします。

アトランティスはオリハルコンの持つ絶対的な力に導かれる社会です。強力な指導力を持つ人物がオリハルコンを手にすれば、その力と社会資源を効率良く運用して他所とは比べ物にならないような壮大な文明を築くことも可能でしょう。
しかしオリハルコンが唯一無二の存在であるがゆえに、その社会には必然的に持つ者と持たざる者との格差が生じます。
オリハルコンを手にした者が絶対的支配権を得て、それ以外の者は従属する他ありません。名君と呼べるような人物がオリハルコンを手にすれば良いですが、そう上手い具合にはいかないはずです。むしろ、暴君が手にして絶対独裁制を敷く可能性の方が高いでしょう。
極端に言えば、個人の能力など関係なく、どんなに優れた能力があろうとオリハルコンを持たねば支配され、逆にどんなに劣っていようがオリハルコンさえあれば支配者になれるという構図です。
最終的には、力ある者が他を制してオリハルコンを手にし、支配者の座を手に入れるという社会体制となるでしょう。
そしてそれを覆そうと思ったら、他に代わる物がない以上、戦ってオリハルコンを奪い取る以外に方法はありません。そんな社会が絶え間ない戦乱を呼ぶことは火を見るより明らかです。
そんな世界で幾世代も戦乱を重ねていけば、「力こそ正義」という考えに至るのも無理はありません。それは良い悪いの次元ではなく、「そういう世界」だということなのでしょう。

対するムーが基盤とするラ・グリルは全ての人が等しく持つ力です。個々の能力に違いや優劣はあるかも知れませんが、基本的には平等な社会となります。
それは全ての人が等しく可能性を持つことができる社会です。
絶大な力を用いて大帝国を築くようなことはできないかも知れません。しかし君主が圧倒的な力を振るうようなことはなくても、大衆が力を合わせて大きな事業を行なうような未来はあり得る社会となります。

他に比肩し得ないほどの大発展も望めるが、支配者が交代する度に戦乱が巻き起こって都市は破壊され、その瓦礫の中からまた新たな都市が築かれる社会か――劇的な大発展は望めないものの、大きな戦乱もなく平和の中で継続し続ける社会か――古来より人類が幾度も繰り返してきた愚かな所業から発する問いに対する回答が、ここにあるような気がします。

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