仮説84:各話分析(24)
『プラトス・愛の悲劇』について

前回、反逆者として捕えられ、処刑台に晒し者とされたプラトスをザルゴンが訪れるシーンから今回は始まります。
完成目前のアトランティスの新宮殿・グレートパレスを望み、プラトスの処刑をその引き出物とすると非情に告げるザルゴン。これ以上ない悪役ぶりです。
やがて時が経ち、アトランティスに舞い戻ったラ・メールが、若手兵士と共にプラトスを奪還します。
先のプラトスの宣言に、反ザルゴンの意思を明確にした兵士たちは、プラトスの下、反乱軍となってザルゴンに反旗を翻します。
果たしてどれだけの兵力が集まったのか、具体的なデータを示すものは出てきません。しかし、特に虐げられていたと予想される最下層の兵士たちが多く参加し、それなりの戦力となったのでしょう。それに加えて、ザルゴン側の兵士たちは長い戦いに疲れて士気が落ちていたのかも知れません。
ともかく、プラトスとラ・メールはあっさりとグレートパレスに達することができました。
ザルゴンの指揮する大部隊に包囲される前に部下を脱出させ、父・ザルゴンとの対決に臨むプラトスと、それに寄り添うラ・メール。
帝国の中枢部を盾に、ザルゴンと1対1で対峙するプラトスは、ザルゴンにただ反省だけを望みます。
「私たちは、地球に平和をもたらすために帰ってきたはず。いたずらに破壊や殺戮を繰り返すのは、もう止めていただきたい! ……それが、今は亡き兄上や母上、そして死んでいったアトランティス兵士たちに報いる唯一の道です」
しかし、ザルゴンは「ワシを説得したいなら、力で倒すことだ」と、あくまで力での解決を求めます。
「教えたはずだ、力だけを信じろと。ワシを倒して、初めてお前が正義となる」
ザルゴンの人生哲学を凝縮したような言葉です。
ここまではある意味、プラトスも予期していた展開でした。しかし剣を抜いて対決を迫るプラトスに、ザルゴンは予想のはるか上を行く行動を取ります。
何と、ザルゴンは剣を抜かないままプラトスに対峙したのです。
対決の前にザルゴンが部下に語った「プラトスにこのワシを殺せはせぬ」という言葉通り、ザルゴンに言わせればプラトスの甘さが如実に出た展開です。
恐らくプラトスの心づもりでは、お互い剣を交えての真剣勝負の末に雌雄を決して……という展開になるはずだったのでしょう。
まともに戦ったとしても苦戦は必至だったでしょうが、死力を尽くした戦いの上で、例えザルゴンの命までは取らなくとも腕の一本くらい斬って負けを認めさせることができれば、帝国の未来も変えられると……。そして結果的にザルゴンを殺害することになったとしても、プラトスは親殺しの汚名を負う覚悟もしていたはずです。
それなのに剣を持たない無防備な相手では、常に正々堂々と振る舞うことを信条とするプラトスにとって、最も戦い難い敵となりました。
結局、プラトスはザルゴンに剣は向けたものの、斬ることはできませんでした。
「バ○ス!」の一言で崩壊するほど脆弱な帝国でなかったのは、主人公キャラでないために仕方なかったのかも知れませんが……(をい)。
対するザルゴンはプラトスを斬ることに何の躊躇もありません。袈裟斬りに剣を振り下ろすザルゴン。
しかし、そんなプラトスを身を挺して庇ったラ・メールがその剣を受けて倒れます。
究極の自己犠牲を示したラ・メールの姿にも全く心を動かさないザルゴンに、初めて殺意を覚えるプラトスでしたが、時既に遅く、非情なザルゴンによって目を斬られて失明させられてしまいます。
我が子を失明させて嘲笑うというこのシーン、世に数多くある悪役キャラの中でもこれほどの残忍さは類例を探すのが難しいほどです。
しかも、白鯨が接近していたとはいえ、二人にあえてとどめを刺さず放っておく辺り、ザルゴン流の残忍さが全開です。
とはいえ、これによりかろうじて難を逃れたプラトスとラ・メールは、戦闘機に乗って帝国からの脱出を図ります。白鯨の援護を受けて、二人は何とか海底神殿に辿り着くことができました。

しかし、ラ・メールはもはや誰の目にも助かる見込みはほとんどない状態です。
「私たちにはもう、アトランティスもムーもない……」とラ・メールとの結婚をラ・ムーに願い出るプラトス。
簡単な式を挙げて旅立つ二人。そして、三万年前に引き裂かれた双子の姉妹の最後の別れが涙を誘います。
マドーラ「もしまたいつか……これが長い夢で夢から覚めたとき……私たちが、本当の姉妹として会うことができたら……」
ラ・メール「いいのよ……私は今はっきりと自分の一生が……幸せだったって、言えるわ……」
宿命のライバルにして肉親の仇同士の二人も、最後に分かり合うことができました。
プラトス「剣、今になって言うのもおかしいが、私たちは地球へ帰ってくるべきじゃなかったのかも知れないな……」
剣「そんなことねえさ、ここはお前の故郷じゃねえか。俺たちみんなの地球なんだ……」

プラトスとラ・メールは二人だけの世界を求めて旅立って行きました。
今回は仮題でも『悲劇の死・プラトス』となっていて、プラトスの死は避けられないものとなっています。
予告でも通常は「次回『ムーの白鯨』、○○○(サブタイトル)をお楽しみに」とナレーションが入るのに対し、24話だけは「ご期待ください」となっていて、スタッフの思い入れが伺えます。そういえば、予告の映像も通常は本編の映像を繋いで作られているのに対して、この24話では止め絵1カットとはいえ、予告篇のためだけの映像が描かれていました。
ともあれ、小説版では二人の命の火が燃え尽きるところまで描かれていますが、テレビ版では既に光を失ったプラトスが潮騒の中でラ・メールとともに永遠の愛を語るシーンで幕を閉じます。

しかし、ラ・メールは致命的と思える重傷だったので死は免れないとしても、プラトスは失明しただけですので、その後も生き残った可能性があります。
特に、二人の最期を直接看取った人物がいなかっただけに、後世の人々がその後の二人を想像する余地が残されているのがポイントです。
例えば、その後もかろうじて生きていたラ・メールは子供を産み落としたところで亡くなり、盲目のプラトスが亡き妻の墓を護りながら残された子供を育て、その子が次代の英雄になった……というような展開も考えられます。
丁度、『源義経=ジンギスカン伝説』のように、次代の英雄が二人の子孫を名乗ったり、例えそれが事実でなくても、あるいは本人がそう名乗らなくても自然発生的に伝説は生まれ語り継がれてゆくものではないでしょうか……? そんな期待を抱かせます。

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