仮説47:白城譲について

白城譲(シラキ・ジョウ)、15歳。ムー戦士・ジョナスの生まれ変わり。
ムーバルを駆ってのアトランティス戦闘機群との戦いにおいては剣と並んで主力として活躍を見せ、10話では麗や学を護ってアトランティス兵たちと徒手空拳で渡り合うなど、その身体能力は剣と互角、あるいは上回っているかも知れません。
作中では白鯨やムーバルを用いない戦闘シーンは剣以外では描かれることがほとんどありませんでしたが、仮に白兵戦となった場合は他のメンバーがお世辞にも戦闘には向いていないことから、剣と譲の二人が前面に立って戦ったと思われます。
性格的には猪突猛進型の剣に対して、その性急にすぎる行動を諌めるクールな補佐役という印象です。
とはいえ、いつもクールなわけではなく、剣を諌めようとするあまり、殴り合いのケンカに発展してしまうこともしばしばでした。と言うか、二人が直接手を出してのケンカをしたのは作中で三回ありますが、その内、二回は譲が先に手を出していました。意外とケンカっ早い性格らしい……。
それもお互いを認め合ってのことで、二人は良きチームメートにしてライバルであったと言えるでしょう。

さて、譲を語る上で天才サッカー選手、フライング・ジョウとしての顔を避けては通れないでしょう。
10話で明らかにされたこの設定は、ムー戦士たちの過去が語られる話としては剣を除けば唯一の例です。
ムー白が放送された1980年当時、日本人のワールドカップに対する認識ははなはだあいまいなもので、作中に描かれるワールドカップの風景も断片的とはいえ、それほど大々的なイベントという感じではありませんでした。
もっとも、作中のラジオ放送によると、アトランティスの侵略によって壊滅的打撃を受けた国は二十数カ国にのぼるとのことでしたので、例年の規模で行えなかったと考えることもできますが。
ただ、その前年に行われたジュニアカップ――今風に言うなら国際ユース大会といったところか――の決勝戦でライバル・ポポロと引き分けた後の会話からすると、その時点で譲は翌年のワールドカップへの出場が決まっていたようで、その実力はまさしく非凡なものがあったようです。
なにしろ弱冠15歳にして、あのサッカー王国・ブラジル代表の中心選手として活躍できるほどです。
余談ですが、このことから譲の国籍がブラジルであることが分かり、日系ブラジル人であると推察されます。
さて、ワールドカップ開催が決定した段階では不幸にも死亡が伝えられる選手や行方不明の選手もいると作中のアナウンサーが語っていましたが、譲もその行方不明選手の一人だったはずです。
それがあっさりと出場できたのは、必ず来ると信じたチームメートや関係者が選手登録を抹消しなかったことによるものと考えられます。このことからも、譲がチームに欠かせぬ存在であることが分かります。……大○翼みたいな奴だな(笑)。
ちなみに、譲の背番号はエースナンバーの「10」ではなく、「1」でした。これってゴールキーパーの番号じゃ……。また、ジュニアカップにおける背番号は「2」でした。これもどちらかと言えばディフェンダーの……まあいいけど(汗)。
それはともかく、大会において譲は期待通りの大活躍でペルーチームからゴールを奪い、小説版ではハットトリックを達成するという偉業を成し遂げました。
相手が守りの要であるポポロを欠いていたとはいえ、ハットトリックを、しかもワールドカップの大舞台で決めるというのはそうそうできることではなく、その点から見ても譲の天才性が分かります。
しかも譲はまだ15歳(!)。ワールドカップには出場の年齢制限はないらしいので不可能とは言い切れませんが、それでも2010年南アフリカ大会までの最年少出場記録は北アイルランドのノーマン・ホワイトサイドの17歳と41日、最年少得点はあの”サッカーの神様”ペレが記録した17歳と239日です。
譲の生年月日は不明ですが、これらの記録をあっさりと2年近くは塗り替えていることになります。
ちなみに最年少得点を記録した1958年スウェーデン大会において、ペレはハットトリックをも達成しています。
これらのことから、譲はあのペレをも凌駕したかも知れないサッカーの天才だったと言えるのではないでしょうか?
もしアトランティスが来襲することなく世界が続いていれば、サッカーの歴史に不滅の名を刻む、偉大なプレーヤーの一人になっていた可能性は非常に高いと思われます。
譲は時代背景ゆえにそのサッカーの実力を思う存分発揮することができなかった、悲劇のプレーヤーだったと言えましょう。

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