仮説16:マチュピチュについて

「ムーの白鯨」8話の舞台となった、ペルーの空中都市・マチュピチュ。
マチュピチュについては作中で学が簡単に説明していますが、インカ帝国の代表的な遺跡です。
一般にイメージされるインカ建築と言えば「巨石をカミソリの刃一枚も入らないほど隙間なく積み上げた石組み」ではないかと思います。
しかし、実際にマチュピチュに立ってみると遠目からは素晴らしく見えるのですが、近付いてみると一部の建造物を除けば石組みは結構隙間だらけですし、見上げるような巨石もそれほど使われているわけではありません。
同じインカ遺跡でも精巧な石組みや巨石建築に着目するならば、インカ帝国の都・クスコとその周辺の遺跡―サクサイワマンやオリャンタイタンボ―の方が上です。
また、非常に高い場所に造られているということが謎のひとつとして挙げられる事のあるマチュピチュですが、実はインカの遺跡としては比較的低い場所にあります。
クスコは飛行機で訪れる大抵の人が高山病に罹ってしまう標高3,360mもの高地にありますが、そこから100kmほどしか離れていないマチュピチュの標高は2,280mしかありません。
遺跡に使われている石にしても標高0mから運ばれたわけでは決してなく、麓の川辺からだとしても標高差はせいぜい数100mしかありません。それどころか、遺跡の中には石切り場の跡も残っていて、現在ではマチュピチュを造るのに使われた石はその場で切り出されたものだと考えられています。
ごく一部、見上げるような巨石を使われている所もありますが、その中には明らかにその場にあった自然石を刻んだのだと分かる部分もあります。
マチュピチュの価値―それは建築の素晴らしさとかアンデス山中という立地による絶景や、誰にも解き得ない謎なども勿論ですが、都市ひとつが丸ごと残されているところにあるのだと私は思います。

さて、インカ帝国と言えばアンデス文明の代名詞的存在ですが、そもそもインカはアンデス地方に数千年に亘って栄えた幾多の文明の最後を飾った帝国であり、実質的にアンデス全域を支配したのは最後の100年足らずにすぎません。
インカがその帝国内に張り巡らせたというインカ道も、そのほとんどはインカ以前から存在していたとも言われています。
ですからアンデス文明の真価は、一般にプレ・インカの一言で括られてしまうその他の文明にこそあると言えましょう。
そして、インカの最盛期は15〜16世紀頃でどう考えてもムー・アトランティスとの直接の関連はないですが、プレ・インカの時代であれば可能性は出てきそうです。

ところで、作中に出てくる山腹からマチュピチュへと続く抜け穴はどういう性格の施設だったのでしょうか?
学は石を頂上に運ぶための通路ではないかと推測しましたが、前述のように石材がその場で調達されたのなら、目的は別にあることになります。
マチュピチュ自体、「何のために」造られたのかについては未だに定説がなく、と言うかアンデス文明が文字記録を持たなかった以上、この先も解明されることはないでしょう。
ただ、建造当時から地形そのものが大して変わっていないのであれば、それは防御に優れた城砦としての機能を持っていたことは間違いないでしょう。
そしてプラトスが推測したようにマチュピチュがアトランティス消滅後にオリハルコンの力を持ってその原型が形作られたのであれば、そしてそれが軍事国家・アトランティスの流れを汲む人々の手によるのだとすれば、戦闘的な機能を持つ都市となるのは自明の理です。
ならば、抜け穴の利用目的として考えられるのは軍事施設―例えば防御から攻撃へ転じるために部隊が密かに出撃するための隠し通路、あるいは非常用の脱出経路あたりが妥当でしょう。
もっとも、外からは分からないように、しかも出入り口を開ければいつでも使えるかのように封印されていた事から察するに、実際の利用はされることなく放棄された様です。
そして後世、抜け穴の存在は知られることなく、マチュピチュはインカの人々によって再利用されたのでしょう。
一説によるとマチュピチュの原型はインカ以前に遡るとも言われていて、そうだとすればプレ・インカ時代の抜け穴がどこかに残っていたとしても不思議はありません。

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