ヴァルター戦記

2.死線

アレン・ブラウンは傷ついた足を引きずり必死に歩いていた。彼は今、生き延びるために戦場から離れようとしていた。

ネオ・ヒラニプラへのトラック輸送の護衛任務に就いたのが一週間前。度々トラックを襲う正体不明の襲撃者に対して、陸軍特殊部隊デビル・キラーの生き残りを集めて結成された部隊は士気も高く実力も自他ともに認めるプロ集団としての気概に満ちていた。

「俺たちが本気になれば、相手が誰だろうとたたきのめしてやるさ」

陸軍最強部隊の誇りを持つ隊員達は誰もがそう公言してはばからなかった。

それが、見事なまでの奇襲攻撃を受けたのだ。

輸送トラック隊を護るどころか、部隊は散り散りになって逃げ延びねばならなかった。

なぜ、こんなことになったのか、とアレンは考えた。

慢心…いや、違う…ヤツらは…。

戦友がどうなったか…アレンはふとそんなことを考えながらも必死に歩き続けた。

と、目前に人影が現れた。

味方ではない、と思う前にアレンは銃を構えていた。が、次の瞬間には鞭のようなもので銃は弾き飛ばされていた。

逃げようとしたアレンの後ろにさらに二人の人影が現れた。

先ほどの鞭のようなものがアレンの首に巻きついた。頚骨をへし折るかと思うほどの力にアレンは崩れ落ちていった。

その時、銃声が響いて人影の一人を打ち倒した。

闇を切り裂いて飛んだナイフが反撃の態勢を整える間もなく、残る二人の人影を打ち倒した。アレンは朦朧とした頭で新たに現れた人影を見ていた。

 

手足の痛みにアレンは意識を取り戻した。

「うっ…つつっ、お、俺は生きているのか」

見ると、傷にはちゃんと手当てがしてあった。一体誰が…?ここは…?

どうやら洞窟の中らしい。目の前には焚き火が燃えていた。

「あまり無理はしない方がいいぞ」

突然、傍で声がしたのでアレンは思わず飛び上がって再び襲う痛みに顔をしかめた。

見るとすぐ傍に一人の青年が座っていた。

アレンは驚いた。こんな近くにいて、全く気配を感じさせないとは…こいつは一体。

「あんたが俺を助けてくれたのか?」

「ああ」

見たところずいぶん若い…18か19、せいぜい20歳ぐらいだろうか。だがいくつもの実戦を経験し、生き延びてきたアレンはこの青年が持つ一種独特の雰囲気を感じ取っていた。

それはいくつもの死線をくぐり抜けた者だけが持つある種の臭いのようなものだった。

「俺は元デビル・キラー所属、アレン・ブラウン伍長。君はどこの部隊の所属だ?」

それに対して、青年はしばらく黙っていたがやがて口を開いた。

「…俺の名はヴァルター。所属部隊や階級は俺にはない」

「ない?」

アレンは呆気にとられた。

「俺は旧軍関係の人間じゃない」

アレンには信じられなかった。どう見てもこいつは素人じゃない。何者なんだ…?

訝しげなアレンを尻目にヴァルターは立ち上がった。

「傷はそれほど大したことはない。しばらく休めば動けるだろう」

ヴァルターはそう言うと洞窟の出口に向かった。

「おい、どこへ行くんだ?」

「もう俺に用はないだろう。あとは自分で何とかするんだな」

そう言い残すと、ヴァルターはアレンを残してさっさと洞窟を出て行った。

 

洞窟を出るとヴァルターは日の暮れ落ちた闇に素早く視線を走らせた。やがてその闇の一点を見据えるように歩いて行った。

その闇の中に、何人かの人影が物音ひとつ立てずに蠢いていた。

三人…四人、五人…全部で八人の人影が散開して迅速に動いていた。

全員がナイフや鞭を手にしている。

そして全員が確実にヴァルターを狙ってフォーメーションを組み、無駄のない動きで迫ってきていた。

と、その漆黒の闇の中で人影の一人が倒れた。ヴァルターの投げたナイフが命中したのだ。

それを合図にしたかのように、他の七人が一斉に襲い掛かってきた。

仲間の一人を目の前で倒されたというのに、彼らの動きには一分の動揺すら見られなかった。

が、ヴァルターの動きはそれを遥かに凌駕していた。超人的なスピードで繰り出されるナイフや鞭の群れを華麗な動きでかわしつつ、逆に見事な蹴りで倒してゆく。

最後に残った一人もすれ違いざまの一撃で葬り去ったヴァルターは息も乱れていなかった。

 

その様子を離れたところから見ている目があった。アレン・ブラウンである。

彼は暗視照明付きスコープで一部始終を見ていたのだった。

しかし、暗視照明付きスコープなしにこの暗闇の中で自在に動けるとは…。

あの八人はただのゴロツキじゃない…全員がデビル・キラーにもそうはいないほどの実力の兵士だ…。俺たちを壊滅させたのも連中だろう。実戦経験豊富なアレンにはそれがはっきりと分かっていた。

そして、それをさらに圧倒的に上回る戦闘能力で撃破したヴァルターにアレンは恐怖さえ感じていたのだ。

と、いつの間にかアレンの視界からヴァルターが消えていた。

ヴァルターから目を離したのはせいぜい数秒である。一体、どこへ…?

「ここまで出て来られるんなら、もう大丈夫だな…」

横からいきなり声をかけられ、アレンは跳び上がった。いつの間にか、ヴァルターはアレンの傍らに来ていた。

アレンは思わず身構えた。

ヴァルターはそんなアレンを一瞥すると言った。

「ここから南に1時間ほど歩けば幹線道路に出る。ネオ・ヒラニプラに行くトラックもすぐにつかまるだろう」

ヴァルターの力を目の当たりにして圧倒されていたアレンは恐る恐る口を開いた。

「お前は…一体何者なんだ…? 所属部隊がないなんて言っていたが、お前のあの動き…あれはどう考えても素人じゃない。相当の訓練を積んだ…実戦を繰り返した兵士の動きだ」

ヴァルターはしばらく黙ってアレンを見ていたが、

「俺は別にウソはついちゃいない」

「し、しかし…」

やがて東の空が明るくなり、地平線から太陽が顔を覗かせた。

ヴァルターはゆっくりと太陽の昇る方向に歩き始めた。

「お、おい、どこへ行くんだ? ネオ・ヒラニプラに行くなら…」

「俺はネオ・ヒラニプラに用はない…」

ヴァルターはそう言い残すとそのまま歩き続けた。

地平線の上に上った太陽が一瞬アレンの視界を奪った。そしてようやく目が慣れたアレンが辺りを見回したとき、ヴァルターの姿はどこにもなかった。

アレンは先ほどの洞窟に戻ってみたが、そこには元々人の住んでいた様子すらなく、ヴァルターも戻っては来なかった。

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